尾張の国の農民の子どもとして生まれた豊臣秀吉が、野望をもって日本のみならず朝鮮国などの諸外国までその支配の手を伸ばそうと考えていたなどと言われております。秀吉は物欲が旺盛であったことでも知られ名刀として誉れの高い日本刀を収集していたようです。そのような秀吉が徳川家康に「自慢できる名刀は何かあるか」などと尋ねた折に家康からあった返答は、「自慢できるような名刀は一振りもございませんが、自分の命令の一声で、火のなか水のなかと飛び込んでいくような旗本たちが宝物であります」と応えたと言われております。実際に世に言われるほどの名刀を所持していても簡単にひけらかすようでは、265年もの泰平がつづいた江戸時代を築くまでには至らないのかもしれませんね。