土方歳三と和泉守兼定
新撰組副長の刀
土方歳三は新撰組の中心人物であり、刀剣に関しては非常なる執着を持っていたとされる。新撰組局長の近藤勇らが、武士またはそれに準ずる身分の正装として帯刀していたのに対し、土方は豪農の生まれであるため帯刀がはばかれたという説もあるが、真偽は定かではない。
もともと兼定は美濃国の関鍛冶兼定による切れ味鋭い実用本位の刀であり、徳川家康や細川幽斎、森長可ら戦国時代の武将も愛用したという。江戸の文政年間に記された「古今鍛冶備考」によると、和泉守兼定は「最上大業物」として刀剣の最高級にランクづけされている。ただし最上大業物とされたのは二代兼定の作であり、土方が愛用した兼定は四代以降、会津に移行した兼定の流れである会津十一代兼定の作である。
刀は長さ68・7センチ。刀身の根元に「幕府侍 土方義豊戦刀(いくさがたな)」と土方の諱(いみな)(本名)が彫られています。鞘(さや)には螺鈿(らでん)が施され、縁金(ふちがね)には土方が愛したという梅も描かれてます。土方の日本刀は、お抱えの刀工、秀國が1866年8月、京都で作りました。細身でやや短く、刃文(はもん)がまっすぐな実用刀です。実際に戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いなどで戦闘用に使われたいわれています。