江戸時代の諸大名は、藤四郎の短刀を競うように求めたといわれますが、それは、「主を切腹させない」という伝承があったからです。
こういった話があります。戦に敗れた畠山政長が切腹のために取り出したのが、藤四郎の短刀。ところが 何度試みても、短万を腹に突き立てることができませんでした。
しかし、使い物にならない短刀に業を煮やした政長が怒って投げ捨てると、置いであった鉄製の薬研(薬草をすりつぶす道具)を深々と突き通したそうです。
それを見ていた家臣たちは、短刀が主の命を絶つことをためらったのだと感嘆したといいます。
これは「薬研藤四郎」として語り継がれていますが、現在の所在は明らかではありません。