まず、日本刀とは国内でつくられた刀剣類の総称です。主な種類は、太刀・万 (打力)・脇差・短万となります。種類別に特徴をみていきましょう。太刀は長さ2尺(約60㎝)以上。のものをさします。刀が湾曲している理由は、「断ち切りやすい」「馬上でもすみやかに鞘から抜ける」 という 実用的観点からです。また、行事などの正装した際の儀礼用装飾としても使われていました。また、2尺未満のものを小太刀といいます。古代に使用されていた直刀も「たち」という発音なので、区別するために表記を「大万」としています。刀(刀)は長さ 2尺以上のものをさします。この刀は室町時代 (1338~11573年)後期から日本で主に使用されていた日本刀で、太刀と異なるのは、反りが少ない点と身に着ける際には刀を上にして腰に差していたことです。脇差は長さ1尺(約30㎝) 以上~長さ2尺未満のことです。1尺3寸(約40㎝) 未満のもは「小脇差」 と呼ばれていました。
短刀は長さ1尺未満の刀をさし、刃を上にして腰に差して持ち運んでいました。反りは太刀とは異なりほとんどありません。 このほかにも日本刀として位置づけられている刀が、「剣」と呼ばれる反りのない両刃の刀や、「難刀(長刀)」や「長巻と呼ばれる長い柄に着けて使用した片刃の刀、「槍(鑓)
と呼ばれた長い柄に両刃の穂を差し込んだ刀、「矛」と呼ばれる長い柄に両刃の穂をかぶせた刀です。これらの刀は古墳時代に用いられていたと言われています。これだけ種類のある日本刀ですが、古代の日本においては、刀剣類はほとんどが中国大陸からの輸入品でした。古代の日本は、発展途上国であったため、すべてにおいて東アジアの大国である中国におくれをとっていました。そこで、ヤマと政権も、刀や剣は武器としてだけではなく、儀礼にも不可欠な装飾品であると考え、国産化を急ぎました。先進的な刀剣の製造の技術の習得のため、中国や朝鮮半島からの渡来人を帰化させて、技術を学びました。日本で初めて製作されたとされる日本刀が、奈良時代の多数の文物・工芸品が収められており、所蔵品の目録である『東大寺献物帳』に記されていました。それが、「唐様太刀」という刀です。