合戦の場では徐々に槍に取って代わられ、日本刀が武器の主役になることはありませんでした。しかし武士にとっては心の拠り所でしたから、切れ味が落ちないようにメンテナンスすることは欠かせませんでした。いわゆる「寝刃合わせ」は武士の重要な仕事だったのです。寝刃合わせは綺麗に研ぐことを目的とはしていませんでした。なぜなら刀は鋭利過ぎると却って実用性が失われるからです。簡単に言えば、上滑り状態となり、肉に食い込まないのです。ですからわざと荒く研ぐことで、適切な摩擦係数を実現しました。蛇行形と呼ばれる削り方もあったほどです。
戦国時代に絞っても、刀の使いみちは様々でした。合戦ばかりでなく、武将の趣味として取り扱われたのです。武将の人生のほとんどは平時に当たりますから、合戦がなければ暇な武将もいました。当時の趣味の典型例は美術収集でしたが、日本刀も同様に集められました。趣味に没頭している時は軍人ではなく、芸術作品を批評する鑑賞者の顔をしていました。彼らの審美眼は確かなもので、名刀の価値が分かるだけの水準に達していました。但し、日本刀の収集には、芸術を楽しむことの他に、褒賞品として取り扱う意図も隠れていました。当時の褒賞品は土地でしたが、全ての武将が家臣に土地を分け与えられるほど裕福ではなかったことから、貧乏な武将は武勲をたてた家臣に刀剣や什器を授けたのです。裕福な武将もまた、無限に領地を持っていたわけではないので、同様に刀剣を授けることがありました。刀剣が土地と同等のものであることを家臣に理解してもらうためにも、鑑定まで行っていたと言われています。