日本刀の歴史を遡ってみると、石で作られた石刀が使われていた縄文時代にまで遡ります。その後、弥生式文化期に入ってからは打製の石槍が使われ、次には大陸から伝わった青銅の剣と鉾が現れたそうです。ただしこの時代は、今の我々が知るような武器としての刀の使い方ではなく、宝器や祭祀に使われる儀器として使われたと考えられています。鍛鉄の技術は、古墳時代から始まったとされています。鍛鉄技術が発展したことにより兵器の技術も発達し、多くの武器の基礎が固まったと考えられています。鉾や弓矢、甲冑、盾、刀剣もこの種類に入ります。しかし現在、古墳時代に製作されたと考えられる刀剣は皆無に等しいとされています。出土品のために錆の状態が酷く、刀身の形状以外は分からない状態となっているそうです。当然ながら刃文などを読み取ることは不可能です。しかし、太刀外装である、柄頭などは汚損が少ないため、ほんの僅かですが完全な形のものも存在すると言われています。刀身を保護する外装の部分は、拵(こしらえ)とも呼ばれます。多くの場合は、柄と鞘、どちらも木製で、鹿などの毛皮で包んでいたと考えられています。しかし、物によっては金銅などで装飾されている、華美な作りのものも存在しました。拵は、大きく分けて四種類あります。鹿の角を装具としている鹿角装刀、柄の先につけた金具に文などの飾りをつけた環頭大刀、柄の先に拳上の柄頭をつけた頭椎大刀、圭玉(中国古代の玉器)に似た山形風の金具を柄頭につけた圭頭大刀、と分かれています。華麗な刀剣の外装は、祭事や宗教的な行事のみに使われており、戦闘を指揮している権力者だけが佩用できていたと考えられているそうです。