宝寿

宝寿は一個人の刀工を示す呼称ではなく、刀工集団の名称である。宝寿は陸奥国を代表する刀工集団の一派。現在の東北地方は、古来より「陸奥国(通常、陸奥国は青森県、岩手県、宮城県、福島県を指し、秋田県、山形県は出羽国と呼ばれる)」と称され、金や砂鉄が豊富に産出された土地柄であったため、古くより「奥州(蝦夷)鍛冶」として、刀剣の一大産地であった。

宝寿は、平安末期から鎌倉初期まで、「舞草」流派の刀工集団として、今の一関市、平泉町周辺を根拠地にしていた。「奥州(蝦夷)鍛冶」には、舞草流派以外にも「月山」「玉造」の流れがある。

文治五年、源頼朝の「奥州征伐」により奥州藤原氏が滅亡し、王都平泉も壊滅した。それに伴い、宝寿の刀工集団も全国に散っていった。

古備前正恒の父・有正が奥州鍛冶の流れを汲んでいるとの伝承や古伯耆の刀剣の出来栄えに色濃い影響を与えているなど、創成期の作刀技術の向上に深く関わっていたといえるだろう。