先に挙げた本の中で「刀は武士の魂」と論じられているように、その「刀」が打刀・脇差の両方を指している事はお分りいただけるでしょう。しかし、武士がこれら大小を腰に差すようになったのは、それほど古くはないと言われているようです。長く続いた武家政権の中で、大小を差すことが礼儀とされていたのは、僅か3分の1以下の年月とされているようです。つまり、ここで説かれている「刀」は、歴史上限定された刀であると言えるのではないでしょうか。「打刀」という言葉は、鎌倉時代からとされていますが、これは、雑兵などが帯用していたとされ、粗悪なつくりのものがほとんどだったようです。これが室町時代に「太刀」となり、のちに進化し現在のように抜・即・斬の可能な「打刀」へと発展していったようです。では、それ以前の武士の精神に「刀」がどう存在していたのかを考えて見ましょう。これにはまず、合戦においての「刀」の役割を知ることが重要となるでしょう。結論から述べてしまえば、世界に冠たる日本刀は、贈り物や儀礼の供え物としての役割が多くを占め、合戦での実用性や価値としては様々な変化があったとされています。源平時代の戦いの主流としては、騎馬によるものであり、刀よりも甲冑に重きが置かれていたようです。馬上で甲冑装着では、刀を振れないことは容易に想像できるでしょう。太刀が主役となったのは、南北朝時代からとされているようです。それは、城を巡っての争いへと戦が変化した為と考えられます。甲冑の装備も、それにより変化し、刀を中心として、より太刀打ちのしやすい甲冑へと進化していったとも考えられるのではないでしょうか。