鹿島神宮所蔵の「直刀黒漆平文刀拵・附刀唐櫃」は、奈良期~平安期の製作で、神の力が宿る刀といわれる日本最大にして最古も刀である。刀身は鉄製の鍛造、拵えは漆塗り木製、金具は銅製鍍金。鋒の帽子は欠けているが、良好な保存状態である。茎は栗尻で目釘孔は一穴。鹿島神宮の主祭神「武甕槌大神」が神倭伊波礼毘古命(初代神武天皇)に授けたとも伝承がある。神倭伊波礼毘古命(初代神武天皇)が、日向より東征し、浪速国で抵抗に遇い、疫病により苦戦した。苦戦を知った「武甕槌大神」は熊野の豪族高倉下に師霊剣を下し、高倉下は師霊剣を神倭伊波礼毘古命(初代神武天皇)に献上。神倭伊波礼毘古命(初代神武天皇)が師霊剣を一振りすれば敵は倒れ、もう一振りすれば味方の病はたちまちに回復したという。こうして、無事に大和入りした神倭伊波礼毘古命は、橿原の地で即位し初代神武天皇となったというのが建国伝説である。神武天皇は、武甕槌大神の感謝し鹿島神宮を勅際いた。しかし、師霊剣は、大和の石上神宮に奉られ、鹿島神宮に返って来なかった。鹿島神宮にあるべき太刀が無いことを憂いた後世の誰かが二代目の太刀を造り、鹿島の神に捧げた。現在の「直刀黒漆平文刀拵・附刀唐櫃」は二代目ということになる。現在の「直刀黒漆平文刀拵・附刀唐櫃」の製作者は詳らかではないが、「常陸国風土記」によると、慶雲元年、常陸国司の釆女朝臣が鍛冶部の佐備大麻呂等と製作したとの記述がある。古代の常陸は、豊かな国柄で、鹿島は良質な砂鉄を産出する土地であった。大きな直刀を製作できる素地あったといえるかもしれない。