これは、戦後、アメリカに流出した日本刀を少しでも日本に持ち帰るために尽力する刀剣商のご主人の体験談である。いつものように、アメリカに日本刀の買い付けに出かけ、今回の出張では十八振りの日本刀を購入することができた。その中の一振りが、なぜか気になる。錆びついており、どんな日本刀なのかもよくわからないのに、飛行機に乗っている間中、ひと時もその一振りが頭から離れることはなかった。
帰国後、まずその日本刀の手入れを始めた。最初に気付いたのは、「柄(つか)」である。 通常は「鮫皮(エイの皮のこと)」が巻かれているのだが、これは明らかに違う。丁寧に取り外して見てみると、それは戦地に向かう息子に宛てた、家族、親戚からの寄せ書きだった。よく見ると、住所も書かれており、さっそく役所を通じて連絡をとることにした。 事は信じられないほどスムーズに運び、翌日の朝早く、所有者の父、兄弟、親戚 の方々がやってきた。
「どうしても早く刀が見たくて、こんな時間に来てしまいました」 と頭を下げる。所有者である息子さんの姿が見えないのは、聞くに及ばないことなのだろう。ご両親は、息子さんが戦地に赴くときに、家にあった数振りの中から、もっとも素晴らしいと伝わる一振りを選び、持たせたそうである。 そして終戦。紙一枚で息子の戦死を告げられ、遺骨も遺品さえも返ってこなかった。家族は誰一人その死を受け入れることができなかった。母は、息子がいつか帰ってくることを信じたまま亡くなったという。その母の新盆を前にして、息子に持 たせた日本刀がアメリカで発見されたとの連絡だったそうだ。小柄な息子のために短くカットした刀身の切れ端は、今回発見されたものとピッタリ合った。柄に巻かれた寄せ書きにも見覚えがある。確かにこれは息子に持たせたものだと確信し、涙を流しながら、日本刀に手を合わせた。
そして、「この刀を譲ってください。いかほどお支払いしたらよろしいのでしょうか」 と言う父上に、「お金は結構です。どうぞお持ち帰りください」「いいえ。それは困ります」そんなやり取りが続いたあと、「でしたら、そのお金でこの刀を磨いて、きれいな姿にさせてください。この刀は非常に良いものですから」と提案し、父上も恐縮しながら同意したそうである。ご家族は、研ぎに出す前にいったん刀を家に持ち帰り、亡くなった母上に報告をした。父上は、亡き息子を思いながら、しばらくその刀を抱いて寝たという。